退屈な朝食

専制とは、一為政者がその権力を人々の利益のためではなくて、彼自身の個人的な独自の利益、彼自身の欲望のために用いることである。 ジョン・ロック『市民政府論』

 

 

 

 ラクオバマ回顧録『約束の地』が出版されたのは昨年のこの時期で、さっそく僕も読んでみた。自分の勉強不足で世界の細かな情勢についてはいささか理解できないところがあったが、この本の面白いところはオバマから見た各国のリーダー評だ。まずドイツのメルケルに対する彼の観察眼。

 

 

 

 

 

 

組織化能力と戦略センス、そしてゆるぎない忍耐力を武器に、一歩ずつ着実に出世していった。メルケルの明るいブルーの大きな瞳は、ときにはいらだちや楽しさ、かすかな悲しみをたたえ、さまざまに色を変える。だがそれを除けば、感情を表に出さないその外見はきまじめさや分析的な感性を物語っていた。広く知られている通り、メルケルは激しい感情や大げさな弁舌には懐疑的だった。のちに彼女のスタッフたちが打ち明けたところによれば、メルケルは当初まさに演説スキルが高いという理由で、私に不信感を抱いていたらしい。だが、私は特に気分を害しはしなかった。扇動的なものに嫌悪感を抱くというのは、ドイツの指導者としてはおそらく健全なことだからだ。(下巻 6頁)

 

 

 

 

 方、大統領退任後に汚職実刑判決をおけたフランスのサルコジについては、

 

 

 

まさに激しい感情と大げさな弁舌そのものという人物だった。どこか地中海風の浅黒く行状豊かな顔立ち(ハンガリー系移民二世でギリシャユダヤ人の血も引いている)と小柄な体格(身長は165センチほどで、背を高く見せるために上げ底の靴を履いていた)で、トゥールーズロートレックの絵画から抜け出てきたような印象だった。裕福な家庭出身ではあるが、人生を通じて自分はアウトサイダーだという感覚を抱いていて、それが自らの野心の原動力になっていることを公言してはばからない。(中略)政策に関してはまったく一貫性がなく、メディアの大見出しや政治的な都合の左右されることもしばしばだった。(中略)会話はお世辞からはったりへ、そして真の洞察へと目まぐるしく展開していく。ただし、彼の関心はあからさまなほど一つのことに向けられていて、その軸がぶれることは決してなかった。その関心事とは、常に自分が物事の中心にいること。そしてそうするだけの価値のあるものならなんであろうとビズんの手柄にすることだ。(下巻 6-7頁)

 

 

 んなオバマがロシア首脳とモスクワで相見えるときがやってきた。2009年7月のことである。2000年から今日までロシアの大統領がプーチンである勘違いしがちだが、2008年から2012年までドミートリー・メドヴェージェフが大統領であり、オバマが最初に会った首脳はメドヴェージェフということになる。もともとロシアの憲法では大統領の任期を1期4年の2期までと定めていた。したがって、プーチンは2008年5月にメドヴェージェフにその座を譲ったのだが、自分は首相として留まり(いわば、メドヴェージェフをリリーフとして祭り上げ)、後の憲法改正によって2036年まで大統領の任期を延長した。ロシア人の平均寿命から言っても、終身大統領制と見て間違いない。つまり、オバマ訪露時における実質的な権力のトップはやはりプーチンであり、オバマはメドヴェージェフの別荘で夕食をごちそうになった翌朝に、プーチンの別荘(ダーシャ)に向かった。以下がそのときの映像と、オバマの回顧。

 


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 翌朝は、モスクワ郊外にあるウラジーミル・プーチンのダーシャに行き、初めて彼に会った。(中略)過去にプーチンとやりとりしたことがあったバーンズ(政治担当国務次官 注id:senakamade)は、先にこちらから長くしゃべらないほうがいいですよと言った。「彼は少しでも軽く扱われることにとても敏感です。向こうのほうが立場が上だというのが彼の考えです。まずは米露関係について向こうの意見を聞き、少し胸の内を吐き出させるのがいいかもしれません」(後略)

 

 洗練された物腰のロシア外相で元国連大使でもあるセルゲイ・ラブロフを伴い、プーチンは私たちを広い中庭に導いた。そこには私たちのために卵やキャビア、パンや紅茶などのごちそうが並べられていて、伝統的な農民服と革のロングブーツといういでたちn男性ウェイターたちが給仕してくれた。私はプーチンのもてなしに礼を言い、前日の合意*1米露関係の進展について述べてから、彼の大統領時代の両国関係についての意見を求めた。

 

 プーチンの胸の内に吐き出すものがあると行ったバーンズの言葉は冗談ではなかったようだ。私が質問を終えるか終えないかのうちに話しはじめた彼は、アメリカのせいで彼やロシア国民が受けたあらゆる不平等、裏切り、侮辱について、永遠に続くかと思えるほど永遠と詳細に、しかも生々しく語った。(後略)

 

 その結果、プーチンが得たものはなんだったのか?ブッシュは彼の警告に耳を傾けるどころか強引に突き進んでイラクに侵攻し、中東地域全体の情勢を混乱させた。2001年にアメリカが弾道迎撃ミサイル制限(ABM)条約からの脱退およびロシアとの国境地帯における迎撃ミサイルシステムの配備を決めたことも、依然として米露関係におけるわだかまりとなっていた。また、クリントン政権およびブッシュ政権ワルシャワ条約機構諸国のNATO加盟を承認したことで、ロシアの”勢力圏“は着実に侵食され、さらにジョージアウクライナキルギスでの”カラー革命[ウクライナオレンジ革命キルギスチューリップ革命など、2000年代に複数の旧ソ連国家で起きた民主化運動]をアメリアが”民主主義の促進”という一見もっともらしい口実のもとに支持した結果、かつてロシアに対して友好的だった近隣国も敵対的な姿勢を見せるようになっていったプーチンにとってのアメリカは、傲慢で否定的で、ロシアを平等なパートナーとして扱おうとせず、世界中の国々に対して常に条件を押し付けようとする存在である。それらすべてのことから将来の関係を楽観視するのが難しい、と彼は言った。(下巻 199-201頁 id:senakamade

 

 

 

 のころからプーチンアメリカ、NATO諸国、そしてNATOへと次々と寝返る旧ソ連諸国に対するフラストレーションは全開だし、前にも書いたようにこの恨みはプーチン自身が東ドイツで諜報員をしていた際にベルリンの壁が崩壊したことが端緒であることは間違いない事実である。バイデンは「自由は専制主義に常に勝つ*2」と言っているけれども、今回はイデオロギーの対立ではなくて、誇大妄想が引き起こした逆恨みで、その人がたまたま核保有国の大国のトップで、そのボタンを押せる立場の人という、キューバ危機以上の危機的状況にあると思う。

 

 

 

 後のオバマはこのように締めくくっている。

 

 

 

(前略)それでも、プーチンのやり方が認めたくないほどの威力と勢いをもっているという恐怖は、振り払えなかった。今ある世界では、多くの有望な活動家があっという間に自国政府の手によって排斥され、つぶされかねない。そして、彼らを守るために私ができることはほんのわずかしかない。(下巻 201頁)

 

 

 

 ックの言葉を21世紀に引用することになろうとは、ロック自身が一番驚いているだろう。

 

 

*1:戦略兵器削減条約(START)のこと。

*2:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220302/k10013510201000.html