覆水盆に返らず

歴史は繰り返えす。細胞の記憶も執拗なものである。徳富蘆花『みみずのはたはごと』

 

 

 シアによるウクライナ侵略が始まって以降、とても憂鬱な日々を過ごしている。嫁さんが近づきがたいぐらいらしい。で、何がここまで憂鬱にさせているのかを考えてみると、もちろん多数の死者が出ているとか、ウクライナ側がかなり劣勢だとか、そういうものも影響しているのだけれども、最も憂鬱にさせるのは第二次大戦以降、慎重に慎重を期して積み上げてきたブロックがガラガラと音を立てて崩れ去ってしまう瞬間に際会してしまったことなのだろうと思う。

 

 

 

 縮をしましょう、核の拡散を防止しましょう、平和条約を締結しましょう、、、そういう流れがあったのは事実だけれども、米・中・ソの覇権主義が台頭した10年くらい前からその流れがストップし、むしろ逆流しはじめたように感じる。この戦争には落としどころが全く見えない。パターンで分岐させることはできても、着地点が今のところない。そして、何かしらの現段階では全くわからない決着をみたあと、僕らは大戦後70年間という月日をかけて営々と築き上げてきた過程をもう一度ゼロから慎重に積み上げなければならない。少なくともロシアという国家は、戦後日本やドイツがそうしてきたように、自らの恥部をさらけ出すことから始めなければならない*1

 

 

 

 の状態は終戦にもなっていないので1945年より前の状態である。僕は今39歳だから、仮に80歳まで生きるとすると、リセットされた戦後の1984年ぐらいまで再現された世の中を見て死ぬことになるだろう*2。となると、ベルリンの壁もまだ東と西を隔てており、日航機墜落もまだ知らない。

*1:もちろん、日本とドイツは過去との向き合い方に大きな違いがあるが。

*2:もっとも、そこまで再現性があるかどうかわからない。